それは深呼吸のようなもので

キロク。キオク。

今日も必死にオタクをする

2人の役者が役者として幕を下ろしたときいた。

彼、彼女は私からすれば
「よく舞台で見ていた上手い役者のひとり」で「友人の応援していた人」でもあった。


彼は今回の作品が、役者として最後だと言ってこの作品が幕を開けた。
それが“応援しているファン”にとってはどれほど有難くおもえるだろうと、この半年多くの場所で友人たちと話してきた。



贔屓を追うということは、観劇に行くということは、時間とお金と労力がかる。
少なくとも、移動時間+3時間観劇…これで3~4時間以上はとられる。
入出があればもっとだ。(入出とかやるな論争はとりあえず置いておく)
遠征となるとさらに時間もお金もかかる。

チケットを取り、手紙を書き、差し入れを選び(悩み)買い、宿を抑え、交通機関を調べ、手配しetc…ありとあらゆる時間と労力がかかる。

それはもちろん【趣味】で、勝手に好きになって、勝手にやっていることで、いつでもやめれる。
でもその1つ何かを観るためにかかる様々な「手間」をかけてもいいと思うから、趣味で、人によっては生きがいだったりもするのだ。

それを全て行うことは、精神的に元気で物理的にも元気で安定している時にしか出来ない。
元気がないから見に行く、見に行くことで明日から頑張れる、見に行くと決めたからそれまで頑張れる。それはもちろん大いにある。だけど、それは鍛冶場の馬鹿力的なものじゃないかと思う。

基本的には、仕事の休みを調整したり、大事な週休を“身体を休めず”出かける。これは自分が選んでるとはいえ、わりときつかったりもする。
色んなことを「調整」し「準備」することは大変だ。まして、いつどうなるかわからないという状況にいれば、「準備」しても「調整」は出来ない。

でも最後なら……なんとかするかもしれない、、
そうじゃないなら、どうだろう。

そう。調整しがたい事…これは起こる。
仕事、家庭環境、結婚、離婚、妊娠、出産、事故、入院などなど。
良くも悪くも環境はどんどん変化する。

来月観るとおもっていても、いけなくなることはこちら側にもいくらでもある。
あちらにもこちらにも、何かしらの事情で観れなくなる事はおこりえるのだ。

相手に仕事が来なくなることもある。オーディションに受からないこともある。海外に行くこともある。役者を辞めることもある。非公開の仕事もあるし、そんなものばかりなこともある。作る側、育てる側に回ることもある。もちろん、亡くなることも、その世界から去り舞台を降りる選択をする人もいる。

人にはそれぞれ事情がある。
こちらにもあちらにも。
だから必死になることもある、行けないかもしれない先を考えて。それが周りにどう見えてるか?なんて気にしてられない時もある。

行ける時に行け。観れる時観ろ。
後悔するなら行ってから。
いつまでもいるとおもうな…
沢山の人が出てきた様々な言葉はまさにその通りだ。

同じ時代に生きて、贔屓を知った。
なんなら話をした、関わった、まであるだろう。
そして、(ファンとして)好きになった。
無数にいる役者の中から、その人を選んだ。
だったら、いつか来るかもしれないその日に、ありがとうをもっと伝えていたかったと思わないようにしたい。
私はそう思う。

観るペースは人それぞれ。それでいい。
私は私のペースと優先順位でこれからもやっていく。
でもやっぱり何度も直面してきたオタク生活の中で、去っていく人、亡くなった人がいた。
絶望したことも何度もある。

国民的スターならまだしも、いちアンサンブルだった贔屓が亡くなっても葬儀に出れる場合は少ない。なんだか何年も区切りがつかない。
そんなことからやっと立ち直ってきた…
あちらにもこちらにも色んなことがありすぎたオタク人生だった。

だから今日も私は必死にオタクをする。

ミュージカル 深夜食堂をみた。

100年に1度書いては数ヶ月で記事を非公開にする謎ブログの出番がやってきました( 笑 )


深夜食堂
あの淡々とした雰囲気が大好きな作品で
その世界観がどう出るのかな?と思ってました。
わたしは再現を期待している訳ではないので、寄せる似せることを期待している人に筧マスターは少し違うかもしれません。でもすごく良かった。


良質な小劇場作品。
五感フル刺激ミュージカル。
丁寧に、それは料理のように、丁寧に作られ作品だった。
感情をとりこぼさないように、すごーく丁寧だった。

夜にカウンターで飲んだり食べたりする
というのは
あー帰りたくないなー
今日いいことあったから誰かと話したいな
なんか誰かに話を聞いてほしいな
ただ酒が飲みたい(笑)
とかいろいろあるんです。

でも居場所がないと思った時、そこは居場所だし
そこはただの飲み屋ではなく、帰る場所なんです。

行きつけの店がある人にはわかる
酒呑みにはわかるポイントが本当に沢山あります。
なんで同じ店で飲んでるだけで仲良くなるの?出会いってこと?なんてよく言われるけど、違うんだよ~~!それとこれとは違うの~!笑

人生の余分なところ かもしれないけど
大事な場所にそこはいつしかなっていく。



前置き長い~!!!!

深夜食堂は深夜にオープンします。
舞台の上に路地の各々の店の灯がともり雑踏がそこにみえてくる。
転換はないので舞台の半分がカウンター。
各役の思い出や気持ちや人生が再生されるとき、そこはどんな場所にでもなる。

M2 深夜食堂
この歌の歌詞がとっても素敵だった。
路地裏のひだまり。この表現が沁みて仕方なかった。


この人数なの?というぐらいみんながいろんな役をしてて、それぞれの役には良いところも悪いところもあって。でもそれが人間。
そういうところもこの作品の良さで、それが消えていないくて本当に良かった。


いろんな人がいて、その人たちの喜びとか悲しみとか悩みとか苦しみとか言えない気持ちとかそういうのって誰かのどこかに共感出来ると思う。



藤重さん演じる 忠。
この忠の普段はふざけてるけど、あさりの酒蒸しのエピソードとして大事な話をした時の背中がとてもとても小さかったことと、マリリンの幸せを泣きながらも喜んだ背中が大きかったことは忘れられない。
自殺しようとした母親の前で食べたあさりの酒蒸し。死ねなかったと後に語った母親。
年老いて飲んでは荒れて寝ている母親に文句言いつつ支える息子。
笑ってる人の心の奥底のもの。普段は絶対言えないけど、お酒の力を借りて誰かに吐き出した時…少しだけ救われるんじゃなかろうか。
忠は、小寿々さんに聞いてもらえてよかったよね。

そんな田村のくんの小寿々さんはゲイバーのママなんだけど、真っ直ぐな人。彼が?彼女が傷つき心に抱えた思い出の味を食べている真っ直ぐな人。
あれは自分を責めてもいたんじゃなかろうか。
彼がいう、竜ちゃんにいう「分け合うと美味しい」って何気ない言葉にほんとーーにグッときた。
ひとりじゃわけあえない。でも大抵の人は一人で生活している、だからこの店で酒を注ぎあって、たまには分け合って食べるんだなと。
そしてソロは泣くよ!!
小寿々さんが寒空で凍えてお店に入ってきた時、忠が凍えてるじゃないか!と背中をさすり、マスターが暖かいお茶を出してくれた。凍えてたのは身体だけじゃなかったとおもう。だから、あの時、小寿々さん嬉しかったしいっきに寒くなくなったんじゃないかな。
そういうちいさな温かさが詰まってる作品。

ほんといい役だった!



竜ちゃんは、不器用でぶっきらぼうだけど根が優しい人。めっちゃ笑えるシーンもあるし、あとマリリンの相手のマッサージ師はほんと笑うww
そしてめっちゃ男前な方じゃないですか!驚き!

個人的にすきなのは毛利さん(ハゲ)←悪口じゃない
毛利さんの新婚旅行の写真をみんなできゃっきゃして見てるのも、横の繋がりいいな~って思う。
わかるーっておもったし、自分の事のように人のこと喜べるの素敵で泣けた。

お茶漬けの鮭、ゆうなちゃん。
ほんとーにかわいいの!超かわいい!!!
でもすごく優しい。毛利さんがハゲで振られた時に自分と重ねてしまったりして。
でも初恋の人が大食いでずっと食べていられたと喜んでる鮭はめちゃくちゃ幸せそうで、涙が出た。
あんなに食べるのは何かあるってマスターがいうんだけど、そういうダメだって思いながら食べちゃう時って心の隙間埋めたい時なんだよね、きっとね。
その寂しさがどこかに漂ってて、笑ってるのに寂しそうだった彼女が…ほんとうに幸せな顔をした時が泣けました。
そういう隙間って一人で食べてもうまらないよね。人と食べるとなんとなく埋まるんだよね。


歌手の千鳥みゆき。
売れなかった頃、マスターがポスター貼ってやるよ!CDも売ってやろう!って言うの。
そういう場所素敵だなーって泣いた。
夜の街はね、夜のお店は、垣根がぐんと下がる。良い意味でね。素敵。
みゆきは亡くなっちゃうんだけど、その後もみんながあの店で懐かしんでるのがよかったなー。
なんか、それが居場所だよね。

アイドルの風見倫子もそう。
誰でもない誰かになれる、そんな場所。

でも、自分にも戻れる場所。


あと、ソース焼きそばとかバターライスとか醤油とか牛すじ煮込みとか匂いがする!!ずるい!
めっちゃお腹へった( 笑 )
ほんっとすごい胃を刺激する。ソースはだめだよーあとバター醤油はもっとだめだよー(笑)

そして、東京での行きつけの店に
帰りに思わず寄り道した。
なんかくだらない話をしたくなった。
飲み屋で知り合った友達に会いたくなった。

キャッチーな楽曲があるかといえばそうではないんですよね。あ、でもじわじわスルメかな?。
エリアンナちゃんとゆうなちゃんの歌声が素敵だったよ~!!

でも、それが人生だよなーって私は思う。派手なことなんてさほど無くて。日々淡々と生活してくなかで、ちょっと心の拠り所が欲しかったりする。それが、行きつけの店とお酒とごはん。そこで出会った大切な人達。居場所なんだと思う。
もちろんそんなものなくても強く生きてる人達はたくさんいて、尊敬する。
でもやっぱりどこかに、寂しさとか弱さとかもろさをかかえてるひとたちを肯定してくれる場所は、平成が終わろうとも残っていくといいなと思いました。


誰でも、どんな人でも、全ての人を肯定してくれるミュージカルです。おすすめ!!!


あのぉーわたしはまた見たいです(飛行機をすぐ調べ出す)
ツイートすればいいレベルの感想ですが、ネタバレなのでここに書きました。

デスノート 大阪

書けばいいのにサボっていました。
自分的によろしくない。ということで…

まるでですのしか見てない人のようですが(笑)

大阪デスノ
日生での観劇から約1ヶ月

前回のメモ
http://xxxexxx.hateblo.jp/entry/2015/04/16/170149

東京公演前半だったので、そこから進化したまま
約二週間の間もまるで続いてたかのような
0カラではなく、進化したところから
さらに進化を続けたデスノカンパニー。

新鮮さと驚愕の進化に圧巻された大阪初日。
そして日々変化するあっとうてきな存在感の役者たち

梅芸は響く。かなり音が響く。
日生で聞き取れなかった歌詞が明確になり
アンサンブルも一人一人の声やオフマイクが
かなり聞こえてくるようになっていた

照明が日生よりも明るいのかテニスシーンで
ボールの線がみえなかった…


小池Lが感情を持つようになった気がした
たんたんと無機質に歌うLだから
グレーな捜査があり、ある種キラを理解できる
そう思っていた

けれど、歌に感情がはいることで
彼が何故顔をだそうと思ったのか
彼が時折起こす人間らしい行動や発言が
理解できた。



浦井ライトは進化に進化を遂げていた。
2幕、彼はミサとLを対面させる。
そのあとの不敵な笑み、勝利を確信し、喜びを隠しきれず狂ったのように笑い、狂気の沙汰だというような声をあげる。Lに電話に出られ怒りをおさえこむ。
そのままレムに怒りをぶつけ、Lを殺そうとする。
そして、埠頭の倉庫。
彼はどうなるのだろうか。どこまで狂うのか。
いつ彼がライトに戻るのか。
毎公演違う芝居に狂い方に恐怖を感じつつも
この人はどうなるんだ、この人凄すぎる
も相まってワクワクがとまらなかった。
ポカーンとして、にやにやして、
初見かのようにのめり込んでみていた。

東京とは違う、哀しく虚しいキラのラストシーン。

今更ながらに
柿ライトはキラに成り上がり祀り上げられて
でもふと糸が切れたようにライトに戻ったから
ラストにくるしい痛いって思ったんだ。
それは、人間に戻ったから

浦井ライトは今回その感覚にならなかった
キラとライトが共存し危うさをもつ人
そして俺が神だと先頭に立ったのだ
ある種の虚しさを感じたのは 彼自身に恐怖を
感じていたからだろう


そして、レム
東京でも人間らしいレムを見たと言う人もけれど
私は見ていなかったので
大阪のレムは凄かった…。


レムは、憂いをおびている。
2幕、捕まったみさに
死ななくてもいい方法があると問いかけるレム。
みさ…と呼ぶ声が母親ノようだったり
囁くようだったりと様々で。
記憶をけした瞬間顔の前にあった手がふるえていた
レムは消してしまったのだ…震えていた
そして歌い出したレムのナンバーは 圧巻だった
母性、人間らしさを知ってしまった死神
感情をもってしまった死神
愛を信じない彼女が、愛に生き愛してるよと歌う
その葛藤も答えがない愛という行為も
初めて知った彼女が歌うと
聡明な美しいものにかんじたのだ。
哀しい愛おしいそんな真逆の感情をもつ歌。

無償の愛。
その形のひとつをみた

だからこそ、キラが
Lの名前をかけというとき
レムに感じたのは悲壮感ではなく
超越した一種の覚悟のようなものだった。


お芝居のおもしろさはキャッチボールだと思っている
生身の人間が感情をもって演じるからこそ
同じ板の上で感情が伏線になったり
知らないところでつながっていたり
ダイレクトに反応したりする

夕食によばれたライトが早く書くんだ!と
勢い良くドアをしめる
その音が強ければ強いほどレムがかわいそうになる


夜神総一郎、鹿賀ぱぱ。
賛否両論があるのは知った上で書くと
私は大阪で夜神総一郎が大好きになった。
父性が増し、彼の人間らしさが物語の哀しさを強めた

息子を疑われたときかばい迷う
涙ながらに、もしもあの子がと歌う。
そして、一人の親としてみさへの仕打ちはありえないという。
刑事たちに残るから考えろと言い残した彼も父親だ
そして悩み去った者も残ったものも父親だ。
夜神総一郎が父親として歌う二幕のなんばーは
一幕の刑事たちを思い出させた。
そんな繋がりが家族を思う普通の人間の感情が
すーっとつながった。
みさへの仕打ちも、
刑事たちには耐えられなかっただろう、子を持つ親として。
だとしたら、夜神総一郎は刑事であり父親であり人間であった。
その葛藤と父親として息子を信じたい気持ちと
そう育ててしまった自分の不甲斐なさと
それを背負ったレクイエムの夜神総一郎
とてもとても小さく見えた。


弥海砂
二幕の捕まったあと、
いつだったか、泣きながら歌っていた。
精一杯の強い強い声で、記憶を消すことに
いえす!といった。

正直、周りが見えないほどキラに陶酔し
愛している彼女に疑問をかんじることもあったが
その日は何がなんでも誰より愛してるという
気持ちがわからなくもない。
そして、裏切るならばという気持ちも彼女なりの
不器用ながらにも愛情表現だとしたら
それはとても切なかった。
この彼女の涙ながらのデスノートとの決別をみたあとに
レムにあんな歌を歌われたら泣かないわけにはいかない


それから
刑事たちのセリフの間や
夜神総一郎とのやり取りのテンポ感が
なんとなく違う気がした。
それによって臨場感や焦り、戸惑い、恐怖が
より拡張されて…
それはそれは一線を超えるか悩み歌う彼らに涙した

降りると決めた者も
きっと苦しかったのだ。
残ると決めた者も
苦しかったのだ。


リュークの安定感はばつぐんで
りんごが落下しかけたりとあったが
それでもやはりあの存在感と あれだけ遊びがあるのに
きちんと場をしめる力のある芝居
メリハリのある役者はすごい。
場の空気をかえるのだ。

デスノート

4/12M かっきー
4/13M 浦井くん
4/13S かっきー
4/14M 浦井くん

4回みて4回とも違う印象と
違う怖さを感じた作品になった。



初見時は、とにかくストーリー展開が早く、どんどんものごとが飲み込まれるように進んでいく様子とそのスピード感に現代社会の闇を見た気がした。

柿ライトは、もともと凄く真面目で正義感に溢れていた…だから彼はデスノートを手にして変わってしまったんではないだろうか。
正義という名のもとに、彼は彼が気づかないうちに人殺しの無差別殺人犯となっていた。

周りが彼を神と崇めたことで、彼は神になれると思ってしまったのだ。
神になった気でいた彼は、神としてふるまう。何をしてもいい。正義という名目で…その思っていたであろうその神は冷酷な殺人鬼でしかなかった。
人間の「欲」みたいなものがつくりあげたのが柿澤ライトだ。

欲といえば、ミサに対しての彼は利用しつつも一種の所有欲みたいなものは出していた様に感じた。
それは人としてというよりは、必要なモノとしてであると同時にLに対するライバル心のようなものがあったからなのかもしれない。

柿ライトは笑わない。邁進するということばが正しいかわからないけれど、彼は目的に一直線で人ではなくなってしまう。彼はライトじゃなくキラになった。誰にもその勢いは止められないのだ…
だからラストシーンが人間臭く、情けなく、痛々しい。そう、痛い…
キラがライトに戻る瞬間だからこそ、彼がもがく姿が「痛い」のだ。
そして、ライトではなくともキラになってしまったのではないか…という恐怖が襲ってきたのだ


浦井ライトは、学生の頃から二面性をもっていた。意見をいい、志をもっている優等生。だけど、彼は闇を抱えていたようにみえた。
それがデスノートをきっかけに表にでてきた。二重人格のような部分があるのだ。

だから、彼は笑う。
ときどき妹に微笑みかけ、リュークにクスッとして。みさに対しては、…自分のひとつのコマでしかない。だから彼女がどうなっても構わない気がした。欲はない。彼女がだめになったならば、また違うやり方を彼は探すだろう。

浦井ライトには、キラとライトが共存していたようにみえた。
キラでいる彼にこわいものはなくて、狂気をかんじる。
狂ってる…だからこそ刑事たちの歌が引き立つ気がした。
キラになると人間でなくなる彼が、普通に家族に微笑むからこわさが増す。人間なのに、こうも狂気に満ちた猟奇的殺人をおこなう。だから、そこに対峙することに「普通の人間」は恐怖を感じるのだ。

ラストシーンで彼がみせるのはライトである。
ライトである彼には、あの行動と感情は当たり前のことだ。だからこそ、あの瞬間に痛いとは思わなかったのだ。
その直前、Lと対峙してるときは狂っていたのに…だ。笑いながらLの肩に手をおき、その笑いを堪えられないキラは恐怖であり、狂っていた。
ライトの彼がみえたとき、そもそも彼は狂っていたとしたら…その原因はなんだったのだろう?という虚しさが残り心に穴があいた感覚が芽生えた。


濱めぐレムは、ソロが毎日違って聞こえた。ある種の賛美歌に聞こえた日もあった。
死神として愛を知らないはずのレムから溢れ出す母性を感じたり、
みさの真っ直ぐさにピュアさにまけないピュアさを感じたり。
悲痛な悲しみと叫びに聞こえたり。
自分が消えたとしてもこの子を守りたい、助けたいという気持ちはとてつもなく人間らしく愛である。
混沌とした冷たい物語の中で、いちばん愛の象徴はレムなのではないだろうか。
レムも報われない、やめろといってもミサはとまらない。
報われ無いけれど守りたい。
レムにはミサの寿命が見えているはずだ。だとしたら、残された時間を誰かのために愛のために半分にして、さらに苦しんでる彼女は見るに耐えられなかったのだろう。
せめてもの気持ちでレムはミサに愛を注いだのかもしれない。
それが愛だなんてことには気がつかず知りもしないまま。
だからこそ、なんだか良く分からないけれどこの子を想う気持ちが溢れているレムのソロナンバーは涙無しでは聞くことができない。


吉田リュークは、狂言回しとしても存在感はずば抜けていた。
そこに存在しないはずで存在している。その曖昧さをうまくだし、人間ではないからこその自由さも持っている。
しかし、彼は死神だ。
人の気持ちに寄り添うことはない。笑いをとりつつ、好き勝手に存在しているユーモラスさは一変する。
だが、彼が選んだラストは恐怖ではない。彼は死神だからだ。
彼にはすべてが見えていた。だとすれば、何よりも冷酷なのはリュークなのに…彼はそれでいいのだ。
暇つぶし…が行き過ぎてしまっただけなのだ。
味のある存在感は、何者にも変えられない。

アニメ声と聞いていたみさみさは、あのキャラクターだからこそアニメ声でもよかったのではないかと思う。
レムとミサのデュエットもバランスはとれていた。

小池Lは、アニメ漫画のあのLの雰囲気を見事に再現していた。
歌は弱い部分もあるが、L独特の姿勢で八百屋舞台で歌うのは辛いだろうな…と。
ただ、刑事たちが葛藤したように「犯罪者キラ」を捕まえることに夢中になるLは一線をこえている。
それが果たしてどこまで正しいのか…という疑問は残る。
彼がテニスのあとにみせた本音は、微笑ましいはずの言葉にも関わらず、とてつもなく虚しく感じたのだ。
天才だといわれた彼の苦しさを感じたからだ。
Lはキラを追い詰めるだけではなく、きっと彼自身もぎりぎりのところで捜査をし立っていたのだろう。


舞台は八百屋舞台。かなりの傾斜があるため、一回席でみえなくなることななかった。
音楽は耳に残るキャッチーさ。
ベース音がかっこいいロック。

社会派といえば、社会派。
ミュージカル!というよりは、何か新しい作品をみた気がしている。

いわゆる2.5次元と呼ばれるものは見た事がない。
これを2.5次元と呼ぶのが正しいかはわからない。

秀逸だったのは、テニスシーン。
テニスボールはなく、ラケットのみ。盆の回転と、アンサンブルのボールを追う動き、振り付け、効果音でボールが見えてくる。
これは面白かった。

それと、人々が交差するシーン。
スクランブル交差点。
携帯から目を離さない人、音楽を聴いてる人、急いでる人、イライラしてる人、ビジネスマンなどなど
現代の他人に干渉しない人混み、自分の事にいっぱいいっぱいの人達
そんな彼らがキラNEWSに関心を示し
好き勝手に盛り上がる。
そんな妙な群衆たちがリアルで、それがまた闇である気がしたのだ。

この作品は何か少し考えさせてくれる