それは深呼吸のようなもので

キロク。キオク。

デスノート

4/12M かっきー
4/13M 浦井くん
4/13S かっきー
4/14M 浦井くん

4回みて4回とも違う印象と
違う怖さを感じた作品になった。



初見時は、とにかくストーリー展開が早く、どんどんものごとが飲み込まれるように進んでいく様子とそのスピード感に現代社会の闇を見た気がした。

柿ライトは、もともと凄く真面目で正義感に溢れていた…だから彼はデスノートを手にして変わってしまったんではないだろうか。
正義という名のもとに、彼は彼が気づかないうちに人殺しの無差別殺人犯となっていた。

周りが彼を神と崇めたことで、彼は神になれると思ってしまったのだ。
神になった気でいた彼は、神としてふるまう。何をしてもいい。正義という名目で…その思っていたであろうその神は冷酷な殺人鬼でしかなかった。
人間の「欲」みたいなものがつくりあげたのが柿澤ライトだ。

欲といえば、ミサに対しての彼は利用しつつも一種の所有欲みたいなものは出していた様に感じた。
それは人としてというよりは、必要なモノとしてであると同時にLに対するライバル心のようなものがあったからなのかもしれない。

柿ライトは笑わない。邁進するということばが正しいかわからないけれど、彼は目的に一直線で人ではなくなってしまう。彼はライトじゃなくキラになった。誰にもその勢いは止められないのだ…
だからラストシーンが人間臭く、情けなく、痛々しい。そう、痛い…
キラがライトに戻る瞬間だからこそ、彼がもがく姿が「痛い」のだ。
そして、ライトではなくともキラになってしまったのではないか…という恐怖が襲ってきたのだ


浦井ライトは、学生の頃から二面性をもっていた。意見をいい、志をもっている優等生。だけど、彼は闇を抱えていたようにみえた。
それがデスノートをきっかけに表にでてきた。二重人格のような部分があるのだ。

だから、彼は笑う。
ときどき妹に微笑みかけ、リュークにクスッとして。みさに対しては、…自分のひとつのコマでしかない。だから彼女がどうなっても構わない気がした。欲はない。彼女がだめになったならば、また違うやり方を彼は探すだろう。

浦井ライトには、キラとライトが共存していたようにみえた。
キラでいる彼にこわいものはなくて、狂気をかんじる。
狂ってる…だからこそ刑事たちの歌が引き立つ気がした。
キラになると人間でなくなる彼が、普通に家族に微笑むからこわさが増す。人間なのに、こうも狂気に満ちた猟奇的殺人をおこなう。だから、そこに対峙することに「普通の人間」は恐怖を感じるのだ。

ラストシーンで彼がみせるのはライトである。
ライトである彼には、あの行動と感情は当たり前のことだ。だからこそ、あの瞬間に痛いとは思わなかったのだ。
その直前、Lと対峙してるときは狂っていたのに…だ。笑いながらLの肩に手をおき、その笑いを堪えられないキラは恐怖であり、狂っていた。
ライトの彼がみえたとき、そもそも彼は狂っていたとしたら…その原因はなんだったのだろう?という虚しさが残り心に穴があいた感覚が芽生えた。


濱めぐレムは、ソロが毎日違って聞こえた。ある種の賛美歌に聞こえた日もあった。
死神として愛を知らないはずのレムから溢れ出す母性を感じたり、
みさの真っ直ぐさにピュアさにまけないピュアさを感じたり。
悲痛な悲しみと叫びに聞こえたり。
自分が消えたとしてもこの子を守りたい、助けたいという気持ちはとてつもなく人間らしく愛である。
混沌とした冷たい物語の中で、いちばん愛の象徴はレムなのではないだろうか。
レムも報われない、やめろといってもミサはとまらない。
報われ無いけれど守りたい。
レムにはミサの寿命が見えているはずだ。だとしたら、残された時間を誰かのために愛のために半分にして、さらに苦しんでる彼女は見るに耐えられなかったのだろう。
せめてもの気持ちでレムはミサに愛を注いだのかもしれない。
それが愛だなんてことには気がつかず知りもしないまま。
だからこそ、なんだか良く分からないけれどこの子を想う気持ちが溢れているレムのソロナンバーは涙無しでは聞くことができない。


吉田リュークは、狂言回しとしても存在感はずば抜けていた。
そこに存在しないはずで存在している。その曖昧さをうまくだし、人間ではないからこその自由さも持っている。
しかし、彼は死神だ。
人の気持ちに寄り添うことはない。笑いをとりつつ、好き勝手に存在しているユーモラスさは一変する。
だが、彼が選んだラストは恐怖ではない。彼は死神だからだ。
彼にはすべてが見えていた。だとすれば、何よりも冷酷なのはリュークなのに…彼はそれでいいのだ。
暇つぶし…が行き過ぎてしまっただけなのだ。
味のある存在感は、何者にも変えられない。

アニメ声と聞いていたみさみさは、あのキャラクターだからこそアニメ声でもよかったのではないかと思う。
レムとミサのデュエットもバランスはとれていた。

小池Lは、アニメ漫画のあのLの雰囲気を見事に再現していた。
歌は弱い部分もあるが、L独特の姿勢で八百屋舞台で歌うのは辛いだろうな…と。
ただ、刑事たちが葛藤したように「犯罪者キラ」を捕まえることに夢中になるLは一線をこえている。
それが果たしてどこまで正しいのか…という疑問は残る。
彼がテニスのあとにみせた本音は、微笑ましいはずの言葉にも関わらず、とてつもなく虚しく感じたのだ。
天才だといわれた彼の苦しさを感じたからだ。
Lはキラを追い詰めるだけではなく、きっと彼自身もぎりぎりのところで捜査をし立っていたのだろう。


舞台は八百屋舞台。かなりの傾斜があるため、一回席でみえなくなることななかった。
音楽は耳に残るキャッチーさ。
ベース音がかっこいいロック。

社会派といえば、社会派。
ミュージカル!というよりは、何か新しい作品をみた気がしている。

いわゆる2.5次元と呼ばれるものは見た事がない。
これを2.5次元と呼ぶのが正しいかはわからない。

秀逸だったのは、テニスシーン。
テニスボールはなく、ラケットのみ。盆の回転と、アンサンブルのボールを追う動き、振り付け、効果音でボールが見えてくる。
これは面白かった。

それと、人々が交差するシーン。
スクランブル交差点。
携帯から目を離さない人、音楽を聴いてる人、急いでる人、イライラしてる人、ビジネスマンなどなど
現代の他人に干渉しない人混み、自分の事にいっぱいいっぱいの人達
そんな彼らがキラNEWSに関心を示し
好き勝手に盛り上がる。
そんな妙な群衆たちがリアルで、それがまた闇である気がしたのだ。

この作品は何か少し考えさせてくれる